【好きや嬉しいや楽しい!ばかりだと真実は見えない】

小村真理子です。
先日の真理子のお話し会でもでた話題ですが、
大好き、楽しい、ワクワクする、嬉しい!っていうポジティブな感情でいっぱいになったとき、気を付けるのは真実が見えているかどうか、ってこと。
真実は自分の内側にある
ネガティブであれ、ポジティブであれ、何かしらの感情が大きくでているときは真実が見えにくくなる。
真実が見えていないから、人は些細なことで右往左往してしまうのです。
麻紀ちゃんのスクールでもやっている「自分を知っていくこと」をしていると、どんなことに感情が動きやすいのかという自分のパターンが分かってきます。
そのパターンが出てくる度に感情を癒し、理性を使って正しい理解をしていくことを繰り返していく、その継続が自分を生きるということでもある。
わたしも以前よりかは自分の感情の動きを客観視ができるようにはなってきているし、すぐに対処できるようにもなってきている部分もあるし、時間がかかるものがあればじっくりと観察するようにしようと意識しています。
そうすると、感情というフィルターでそれまで見えなくなっていた「自分の内側に真実がある」ということがじわじわと腑に落ちてきています。
そんなわたしが最近気を付けようと意識しているのが、
特にポジティブな感情がとても大きくでたとき、そのフィルターで真実が見えなくなることがある。
テンションがあがっていればいるほど、真実は見にくくなるんだなーと思ってます。
「好きな仕事をする」
「好きだから付き合う」
「楽しいからする」
「嬉しいからやる」
その好きや楽しいに隠れた真実があることがあります。
以前のわたしはわたし自身のことを分かっていませんでした
その頃はとりあえず自分の「好き」「楽しそう」に従って行動していたものがあります。
「好きなことして暮らす」とか「好きな仕事をする」そんなことをいろんなところで聞くようになったころかな。
でもその当時の「好き」で行動した先では痛い目に合う、学びの連続でもありました。
結局その「好き」で見えなくなっていたわたしの中にあった見るべきものを見るきっかけにもなりました。
自分を知っていくことをしていくと、
好きだって思ってたことがそうでもなかったり、
楽しいって感じてたことがそう感じなかったりしてくる。
その「好き」はどこからきている「好き」なのか分かっていなかったからです。
その「好き」はどんな好きなのか?
お金にならなくてもいいほど好きなことなのか?
誰になんと言われてもやりたいくらい好きなことなのか?
ここまでいくには相当だと思いますが純粋な好き、というのは本来はこういうことなんだと思います。
分からなかったらとりあえずやってみるのもありだよね。
その先に学びとなるものがあるんだと思います。
失敗したなーと思ったら、またやり直したらいいし
同じベクトルは踏まないようにしたらいい。
そうやって今もなお、自分の中の真実を見出していくことの連続です。
感情はどんな感情も自分を知ることへの大きなきっかけです。
ただしその感情で見えなくなる真実もある。
だからって「楽しいー嬉しいーっ」て感情を出さないのではなく、そこは思いっきり感じる。
ただし気を付けよう!とする意識をもっておくことだなーと思ってます。